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小説『火垂るの墓』は実話?あらすじとジブリアニメ版との違いを解説

夏になるとよく放送されていたスタジオジブリアニメ『火垂るの墓』

1988年高畑勲監督の作品です。

寡作であった高畑監督の代表作といわれています。

太平洋戦争下の兵庫県を舞台に両親を亡くした兄妹が、混乱の中で命を落とす姿を描いた悲劇的な作品です。

原作は野坂昭如の同名小説。

「火垂るの墓」と「アメリカひじき」の2短編で直木賞を受賞しています。

「火垂るの墓」は野坂昭如の実体験をもとに書かれている短編小説。

この記事ではアニメ『火垂るの墓』の原作小説や、現実との違い、アニメ版と小説との違いについて解説したいと思います。

目次

小説『火垂るの墓』と現実との違い

野坂昭如の体験をもとに書かれた小説ですが、もちろんフィクションです。

作中、兄の清太は14歳で亡くなっていますが、野坂昭如は2015年85歳で他界されるまで、作家・作詞家・歌手・タレント・コメンテーターとして精力的に活動されていました。

「清太=野坂昭如」ではないのは、家族構成から見てもわかります。

野坂昭如は複雑な家庭に育った方で、生後間もなく養子に出されています。

野坂昭如の父親は土木技師で新潟県副知事を務めた人物。

母親は野坂氏を生んですぐにこの世を去りました。

養父は東京に本社がある日本鉱油輸入販売株式会社の関西支社長。

養母は実母の妹にあたります。

養父の家庭で野坂氏は血のつながらない二人の妹さんを持つことになります。

今の感覚では不安定な時世で3人の養子を迎えることに驚きますが、養父母は「男の子は兵隊に取られるから」と考えていたそうです。

上の妹 紀久子さんは生後10か月に腸炎で他界。

下の妹 恵子さんが節子のモデルとなった人物です。

享年1歳6か月。

節子が4歳で言葉を話し、兄を思いやれたのに対して実際の妹さんは意思の疎通もままならない存在。

野坂氏自身が自分は清太ほどやさしい兄ではなかった、もっと面倒を見ていればよかったと後悔の言葉を述べています。

たまに手に入った白米でおかゆを作ると自分が米の部分を食べ、妹さんには重湯の部分を与えていたとか。

ぼくは、恵子を愛していたと自信をもっていえるが、食欲の前には、すべての愛も、やさしさも色を失ったのだ

野坂昭如『アドリブ自叙伝』筑摩書房 1980年 P375)

戦時中、飢餓の苦しさから様々な事件が起きたことを考えると野坂氏の行動も理解できます。

結果、妹さんは栄養失調で亡くなってしまいます。

14歳の少年が乳飲み子を抱える苦労は計り知れませんし、一寸先は闇の戦時下。

精神状態も不安定だったはずですよね。

食べ盛りの中学生男子が家にある食料を食べつくすのは今でもあること。

誰も責められませんね。

子供が子供を育てる異常事態が起きてしまう、戦争の悲劇を強く感じさせるエピソードです。

小説は野坂氏が妹への鎮魂歌として書いたもの。

舞台も兵庫県ではなく疎開先の福井県、養母は大けがをしたものの存命だったなどの違いがあります。

実体験をベースに、妹の最期を心安らかにしたものが「火垂るの墓」と言えそうです。

小説『火垂るの墓』とジブリアニメ版との違い

『火垂るの墓』アニメ版はやや上品

清太が三宮駅で息を引き取った後、遺品であったドロップの缶から節子の遺骨が出てくる場面など、アニメ版は原作を忠実に再現しています。

ですが、野坂昭如はもともと露悪的なところがある作家。

句読点が極端に少ない独特の文体、饒舌で口にしづらいことをあけすけに書く姿勢。それでも下品にならない絶妙なバランス感覚を持った書き手です。

アニメ版は制作がスタジオジブリということもあって原作よりも上品に作られていますね。

びろうな話は省略されています。

また、当時の風俗で分かりにくい部分はカットされています。

例えば、原作に出てくる「乾燥卵」、「興亜奉公日の南京米の弁当」、「ドリコノ」。

アニメ版では省略されています。

もし登場させていたら説明的になり、映画の空気が壊れていたのではないでしょうか。

絵にして分かりやすいものを残した、高畑勲監督の取捨選択でしょう。

『火垂るの墓』アニメ版オリジナルのシーンが追加

また、アニメ版は高畑勲監督の解釈が加わっています。

これは作家でアニメ評論家でもある岡田斗司夫が詳しく解説しています。

興味のある方は「岡田斗司夫ゼミ 『火垂るの墓』」で検索してください。

要約すると次のようになります。

  • 『火垂るの墓』は現代(1988年)に始まり、現代に終わる映画
  • 清太の幽霊が、野垂れ死にすることになった経緯を語っている
  • 清太と節子はあの世にいかず、現世をさまよっている
  • 死ぬ前の3ヶ月を永遠にリピートしている

高畑勲監督はとても頭のよい方でした。

抒情に押し流されず、冷静に考えた末に二人の死を「心中」と捉えていたというのが岡田斗司夫の主張です。

作品の細部、絵のモチーフなど傍証がたくさん挙げられているので説得力がありますよ。

清太と節子が天国に行けなかったというのはかなり厳しい話ですね。

アニメ版『火垂るの墓』が「本当は怖い」と言われるゆえんです。

ですが、清太のように戦時下でコミュニティーから離れるのは、命に係わる行為。

「悲しい話」で終わらせるのは無責任です。

高畑勲監督は大人としての責任と使命を感じたのかもしれませんね。

まとめ

『火垂るの墓』は野坂昭如の実体験をもとにしたフィクションです。

小説と現実は必ずしも同じではありません。

アニメ版は高畑勲監督の「解釈」が加わり、また別の意味を持っています。

原作もアニメ版も細部まで入念に描かれた名作であることに違いはありません。

野坂昭如、高畑勲それぞれの作家性に思いをはせ、深読みしてみてください。

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