数日前、X(旧Twitter)のある投稿が話題になりました。
アニメ『薬屋のひとりごと』の作画に苦言を呈する内容。
これには多くの人が反応し、賛成派と反対派に別れました。
ざっと見たところ、「手抜きではない」「気にならない」という意見の方が多い印象を受けました。
今回は、この件に関して深掘りしたいと思います。
アニメ『薬屋のひとりごと』の作画は手抜き?
そもそも、アニメ『薬屋のひとりごと』のクオリティは低いのでしょうか?
筆者はそうは思いませんでした。
もちろん、劇場版アニメや『鬼滅の刃』『呪術廻戦』のいわゆる「神回」に比べると地味な部分はあるでしょうが、ていねいに作ってあると思います。
花街や後宮の雰囲気がよく出ていますし、キャラクターは魅力的。
声優さんたちもいいお仕事をしています。
特にヒロイン猫猫(まおまお)の表情、ちょっとしたしぐさ、毒を口にした時の変貌ぶりなどキメの細かい演出をしていると感じました。
衣装の色彩があざやかで見ていて楽しいですよね。
遠景で人の顔が省略されるのは、漫画でもよくあること。
正直なところ、「こんなところを気にする人がいるんだ」と驚いたくらいです。
『薬屋のひとりごと』アニメーションの制作現場は過酷
今では世間によく知られていますが、アニメーションの制作現場は過酷をきわめています。
少し前、大ヒットを飛ばした某アニメ制作会社が脱税で捕まりましたが、社長の証言に対し同情の声があがったほどです。
クオリティーは求められるのに低賃金、重労働でほぼ赤字。
ヒットしてもアニメ制作会社にお金が入ってくるわけではない―。
キャラクターグッズ、カフェなどで会社の運転資金を調達するしかない状態。
有名なアニメーション制作会社の社員でも若くして他界される方がいるほどです。
ですから、「もしも」手抜きがあったとしても上手にしていれば問題ないと思います。
2004年放送、NHK『BS アニメ夜話』でガイナックスの岡田斗司夫さんが『ふしぎの海のナディア』についてのエピソードを披露していました。
過去の絵を編集してPVのように歌だけを流し、ミュージカル風に1回分作ったというのです。
資金・人手・時間、いろいろな問題を乗り越えるために編集を駆使した苦肉の策。
ゲストコメンテーターだった女優の佐伯日菜子さんは「小さい頃、あの回が好きでCDまで買った」と話していたので、一般視聴者は問題なく楽しんだ様子。
NHKのアニメですから子供がよろこんだのであればOKでは、と思いますよね。
ですが、この時にも一部のアニメファンからは「手抜きだ!」などいろいろと文句を言われたそうです。
岡田斗司夫さんは気丈に
「でも、おまえ、うちみたいにうまい手の抜き方をするスタジオが日本にいくつあると思っているんだ!?」とおっしゃって笑いをとっていました。
私は面白いアニメを作ってくれるのであれば、いくらでも上手に手を抜いてください!と思いますね。
一部のクレーマーのせいで、現場の人々が疲弊するのは論外だと思いますね。
『薬屋のひとりごと』作画を省略しなかった場合、どうなる?
さて、今までは現場が意図的に「手を抜いた」前提で話してきました。
ですが、絵の省略は「手抜き」ではない別の意図があるのかもしれません。
私たちは日頃、あまり意識していませんが目から入った情報は脳で処理されます。
人間ですので、この能力にも許容量があります。
一度に多くの情報が入ってくると「疲れた」と感じる方は多いのではないでしょうか?
アニメ制作会社は情報量を減らすためにあえて、遠景では登場人物の顔を省略しているのかもしれません。
実際、『薬屋のひとりごと』は主要登場人物の身長・服装・髪型でキャラクターが識別できるので顔の造作をカットしても問題はないですね。
優れた画家の「省略」は「洗練」
オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の挿絵で有名なオーブリー・ビアズリー。
彼が描いた「サロメ」で最も有名な挿絵「お前の口にくちづけしたよ、ヨカナーン」には習作があります。
腺が多く、細部の描き込みが多いのは習作の方で、完成した絵はかなりの部分が省略されています。
プロは必要な線以外はけずるものです。
研究者や実作者に人気のギュスターヴ・モローも細かく描きこんでいるかと思いきや、実は「そう見えるように描いている」。
実際に美術館で見ると細部はラフで驚きますよ。
必要な線と色の取捨選択は、美的感覚と卓越した技術の賜物です。
まとめ
アニメ『薬屋のひとりごと』の作画について紹介してきました。
原作小説も、余分な点を省きエンタメに特化した作品。
アニメもそうあってしかるべきだと思います。
これからもアニメ制作現場の方々には頑張っていただきたいですね。