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オードリーヘップバーンの子供時代やデビュー経緯と出演作は?

無くなってから約30年経過した現在でも根強い人気を誇っているオードリーヘップバーン。

慈善活動家としても知られている彼女ですが、どのような幼少期を過ごしてきたのでしょうか。

また、どんな経緯で女優として活動することになったのでしょうか。

今回はオードリーヘップバーンの生い立ちやデビューの経緯、代表作品をご紹介します。

この記事を見ればこんなことが分かります!

・オードリーヘップバーンの子供時代について

・オードリーヘップバーンのデビューの経緯について

・オードリーヘップバーンの代表作について

目次

オードリーヘップバーンのプロフィールと子供時代

  • 名前:オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)
  • 本名:オードリー・キャスリーン・ヘプバーン=ラストン(Audrey Kathleen Hepburn-Ruston)
  • 生年月日:1929年5月4日
  • 国籍:イギリス
  • 身長:170㎝

オードリーはベルギーのブリュッセル出身で、一度も定職についていないながらも13か国語を話せた父と、「バロネス」という爵位を持っていたオランダの貴族出身の母の間に生まれました。

5歳ごろからバレエを始め、本格的にバレリーナを目指して練習をしていましたが、1935年頃に家庭を捨てた父と別れ、母の故郷であるオランダアーネムという街に親子で移住します。

そこで2年ほど過ごしあと1937年にイギリスのケントに移住し、エラムという村の小さな私立女学校に入学して14人の少女たちをまとめる存在になったそうです。

しかしその2年後に第二次世界大戦がはじまり、前回の第一次世界大戦では中立国だったオランダは今回も中立で侵攻を受けないだろうと考えた母と、アーネムに再び戻ります。

アーネムに戻ったオードリーはそれから6年ほどアーネム音楽院に通い、普通の授業に加えてバレエのレッスンも受け、難しい状況の中でもバレリーナの夢を見続けていました。

その時オードリーの母は「オードリー」という名前がドイツの敵国であったイギリス風だったことから、「エッダ・ファン・ヘームストラ」という偽名を名乗るように指示したそうです。

そして1944年に「オランダ大飢饉」が発生したことで、オードリーも栄養失調に苦しみ、貧血、喘息、黄疸、水腫の症状が出ていましたが、ユニセフの前身である連合国救済復興機関(UNRRA)の食糧や薬によって助けられたそうです。

この時の経験が、後にオードリーが行うユニセフでの慈善活動につながったとご本人が話されていたようですよ。

終戦後には母娘でアムステルダムへ移住し、再びバレエの道を歩み始め、オランダでも有数のバレリーナへと成長していきました。

オードリーヘップバーンのデビューは?

https://twitter.com/starchannel/status/1139668873987231744?s=20&t=MrhsGYv_u3mQONg5F70FMg

オードリーが初めて映像作品に出演したのは実はオランダの教育用旅行フィルムでした。

オランダの七つの教訓』というフィルムで、オランダ航空のスチュワーデスの役で出演しています。

なぜ出演することになったのかはわかりませんが、おそらくオランダで有名なバレリーナだった彼女が制作会社の目に留まり、出演することになったのではないでしょうか。

その後、彼女はバレエの技術を高めるためにイギリスのロンドンに渡り、バレエ団に所属し経験を積みますが、170㎝という身長と、成長期だった戦時中に栄養が十分にとれなかった事、練習も満足にできなかった事、さらに金銭的な事情があり、バレリーナの夢を断念せざるを得ませんでした。

そこでオードリーはバレエの舞台よりも演劇の舞台の方が圧倒的に給料が良いということを知り、演劇の世界に足を踏み入れたのです。

そこから彼女は舞台女優として『ハイ・ボタン・シューズ』(1948年)、『ソース・タルタル』(1949年)、『ソース・ピカンテ』(1950年)などの舞台に出演し、さらには舞台に出演しながら有名な舞台俳優の下で発声の訓練を受けるなどして、舞台女優としてのスキルも高めていきました。

そうして舞台女優として邁進していた彼女の姿をイギリスの映画会社の配役担当者に見いだされ、フリーランスの女優として映画俳優としての道を開くことになります。

そして1951年にソロルド・ディキンスン監督の作品『初恋』で主人公の妹で優れた才能を持つバレリーナの役でメインキャストデビュー、この作品では、元々バレリーナを目指していたオードリーがバレエを踊る姿を劇中で見ることができますよ。

その後『モンテカルロへ行こう』へ出演し、フランスのリヴィエラで撮影をしていた所、この現場にフランス人作家のシドニー=ガブリエル・コレットが訪問し、彼女が書いたブロードウェイ戯曲『ジジ』の主役に抜擢されました。

https://twitter.com/asppu_ao/status/1389373139730137089?s=20&t=MrhsGYv_u3mQONg5F70FMg

さらに同時期にあの有名な映画『ローマの休日』の王女役のテストに参加したオードリーは、「カット」の声がかかった後の笑顔で王女役を射止めてしまったんです。

1951年11月24日に『ジジ』は初演を迎え、オードリーはブロードウェイデビューを果たし、当初はポスターに「『ジジ』出演 オードリー・ヘップバーン」となっていたのですが、あまりの盛況ぶりで「オードリー・ヘップバーン主演の『ジジ』」に書き換えられた、なんて逸話も残っています。

この『ジジ』は『ローマの休日』の撮影期間をはさみ、ブロードウェイを飛び出してピッツバーグ、ボストン、クリーヴランド、シカゴ、デトロイト、ワシントン、ロサンゼルス、サンフランシスコと、アメリカ全土での巡業も行われました。

オードリーヘップバーンの代表作

こちらでは数々の名作を残したオードリーヘップバーンの代表作5つをご紹介します。

『ローマの休日』(1953年公開)

https://twitter.com/kinro_ntv/status/1523573142996025345?s=20&t=MrhsGYv_u3mQONg5F70FMg

まずはオードリーと言えば!なこの作品『ローマの休日』です。

こちらはオードリーの初主演映画で、イタリアのローマを舞台として、王族としての窮屈な生活から抜け出したヨーロッパ某国の王女・アンが、グレゴリー・ペック演じるアメリカ人新聞記者と恋に落ちる物語です。

元々はグレゴリーが主演で、オードリーはその共演者の扱いだったそうですが、グレゴリーが自分のエージェントに「同等の扱いにしないときっと後悔するぞ!」と掛け合ったことで主演扱いになったという話が残っています。

実際この作品でオードリーは「アカデミー主演女優賞」、「英国アカデミー最優秀主演英国女優賞」、「ゴールデングローブ主演女優賞」を受賞し、一躍人気女優の仲間入りを果たしました。

『麗しのサブリナ』(1954年公開)

https://twitter.com/shurimp99/status/1255383407313461249?s=20&t=MrhsGYv_u3mQONg5F70FMg

続いて紹介するのは『麗しのサブリナ』です。

こちらは富豪のお抱え運転手の娘であるオードリー演じるサブリナが富豪の兄弟の間で心が揺れ動いていく物語です。

この作品も非常に評価が高く、『ニューヨークタイムズ』では「王女の役よりもこちらの方がはるかに光り輝いている」と評されたほどでした。

『麗しのサブリナ』では「アカデミー主演女優賞」にノミネートされ、「英国アカデミー最優秀主演英国女優賞」を受賞しました。

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『ティファニーで朝食を』(1961年公開)

https://twitter.com/eigacom/status/1521693598986776577?s=20&t=MrhsGYv_u3mQONg5F70FMg

続いてはこちらもオードリーと言えば!と有名な『ティファニーで朝食を』です。

こちらはオードリーが結婚後、長男を出産してからたった3か月で出演した作品となっています。

ストーリーは、華やかな世界に憧れながら自由気ままに生きている美女と、彼女に惹かれていく自称作家の恋愛物語です。

こちらの映画は冒頭のシーンで着用したジバンシィがデザインしたリトルブラックドレスが20世紀のファッション史を代表するドレスだと言われています。

実はこの話には原作があるのですが、原作とは大きく話の内容が変わっており、そのため原作者はかなりの酷評をしていて、原作者は主演にマリリン・モンローを使いたかったようです。

原作者には酷評でしたが、こちらの映画でオードリーは「アカデミー主演女優賞」と「ゴールデングローブ賞」にノミネートされました。

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『マイ・フェア・レディ』(1964年公開)

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続いては『マイ・フェア・レディ』です。

こちらは同名のミュージカルが映画化されたもので、現代でも名作ミュージカルとして数多く公演されているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

元々主役はミュージカルの舞台で主演を務めている女優がやるはずでしたが、その女優が「私はカメラテストなんてしない!」とテストを拒否してしまったので、オードリーにこの役が回ってきたそうです。

ストーリーは言語学を専門としている教授が、下町生まれで言葉遣いも荒い花屋の娘をレディに仕立て上げられるかどうか大佐と賭けをし、どんどんレディとして綺麗に磨き上げられていく娘とその娘に心動かされる周囲の男性たちの心模様を描いた物語です。

この作品はミュージカルということで、オードリー自身が撮影の3か月前からトレーニングを積んで臨んだものの、実際に彼女の歌はほとんどが吹き替えられてしまい、実際に使われたのは10%ほどだったという話があります。

また、批評家からは非常に好評だったものの、主演女優賞にノミネートされることなく終わってしまった作品でした。

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『おしゃれ泥棒』(1966年公開)

最後にご紹介するのは『おしゃれ泥棒』です。

こちらは美術品収集家として有名でありながら実は贋作画家の父を持つ娘のニコルが、贋作疑惑を確かめる為に家に侵入した探偵を泥棒だと思って美術館から父の作品を盗み出すことを依頼し、ニコルに一目ぼれしてしまった探偵がニコルの依頼を達成しようと画策するロマンティック・コメディです。

この作品はおしゃれに盗み出す、というわけではなく、映画に登場するファッションや車などがおしゃれ、と現在では評価されています。

今また昔のレトロファッションが流行ったりしていますから、コーディネートのヒントが見つかるかもしれませんね。

オードリーヘップバーンの子供時代やデビュー経緯と出演作は?まとめ

今回はオードリーヘップバーンの生い立ちとデビューの経緯、そして代表作についてご紹介しました。

いつ見ても美しさが光るオードリーの作品をまだ見たことない、という方はこの機会にぜひご覧になってみてはいかがでしょうか?

また、5月6日からオードリーのドキュメンタリー映画も全国で公開されていますので、気になった方はぜひチェックしてみてくださいね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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