55時間結婚や後見人問題など様々なことが報道されてきたブリトニースピアーズ、長年争ってきた実の父親との後見人問題も決着がつき、ついに自由を手に入れたと言われています。
なぜブリトニーは父親と裁判で争うようなことになってしまったのでしょうか。
ここではブリトニースピアーズが父との間にできた確執の原因について紹介します。
ブリトニースピアーズ、父親との確執の原因は?
ブリトニースピアーズは2007年に精神衰弱が見られると判断され、成年後見人制度の対象になりました。
成年後見制度とは、自身で適切な判断をする事が困難な場合に、周囲の人が後見人になって、不当な事から財産を守る事できるというもので、法的な決断は後見人の管理下に置かれるというものです。
そしてブリトニーの後見人は父親のジェイミースピアーズでしたが、ジェイミーは2019年に大病を患い、健康上の理由で後見人の役割を休職。
その間はブリトニーのケアマネージャーであるジョディ・モンゴメリーが一時的な代理をしていました。
そして父親の復帰を望んでいないことも伝えられましたね。
結局2020年に11月13日に13年にもわたる後見人制度は解除になり、40歳の誕生日を間にブリトニーは自由を手にしました。
ということで、長年ずっと管理されていたわけですが、どうしてこのような事になったのでしょうか?
離婚したことにより、精神崩壊したブリトニーの為に後見人制度を利用したわけですが、それに納得がいってないというのがブリトニーの主張です。
「子宮内避妊器具(IUD)を取り外すことが出来ず、結婚して赤ちゃんを産むこともできない」「無理矢理メンタルヘルスの治療施設に入れられた」「仕事を強要され、クレジットカードや携帯、パスポートなどすべて没収された」とブリトニーは発言しており、これが原因で父親との確執に繋がったのでしょう。
一方の父親ジェイミーは「娘は認知症」と主張していて、意見は真っ二つに分かれていたんです。
お互いに言い分はあるんでしょうが、ただの親子喧嘩ということではなかったようです。
ブリトニーの父親の仕事はなんだったの?
ブリトニーの父親は1970年代は溶接工として働いていたようです。
各地の石油精製所で1ヶ月~3ヶ月の仕事に就いていたということ。
1980年代には建設業を営み、ウエルネスとスパの経営をしていたそうで、その頃は飲酒もしていなく成功していたようですよ。
その後は娘・ブリトニースの活躍により、働かなくてもよい状態だったのかもしれません。
そして2008年に後見人になったことにより、ブリトニーの銀行口座やクレジットカード、仕事の契約の管理などしてましたし、それが仕事だといえるでしょう。
しかし2018年11月に結腸断裂で入院し、その後は回復しています。
ブリトニースピアーズの母親はどんな人?
ブリトニーと父親との確執は分かりましたが母親との関係はどうなのでしょうか?
母親はリン・スピアーズと言いますが、1955年5月4日生まれで、1975年にジェイミー・スピアーズと結婚し子供は3人産まれています。
子育てをしながら託児所を運営し、その後学校の先生としても勤務。
2000年にブリトニーと共著で自伝「Britney Spears’ Heart to Heart」を出版。
現在はコンサルティングビジネスもしているそうですが、ブリトニーとの関係は良くないようです。
以前は母親に対してそれほど発言がなかったブリトニーですが、最近は違います。
ブリトニーは母親が後見人制度を父親に吹き込んだと考えているようで、両親とも仲が良くないと言えそうです。
また、母親は「ずっと(娘は)関係無い」という態度をとり続けてきたということも思っているようで、助けて欲しかったという気持ちがあるのでしょう。
ブリトニースピアーズ、父親との確執の原因はなに?まとめ
ブリトニースピアーズの父親との確執の原因は、父親からの束縛が原因だと考えられます。
父親が後見人になったことにより、自由がなくなったことでブリトニーの主張が爆発したのでしょう。
また父親は溶接工や経営もしていたようですが、その後はブリトニーの管理という仕事をしていたことになります。
現時点でも和解はしていないようですが、お互いが歩み寄って仲良くなれればいいですよね。
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