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村上右磨(ゆうま)の経歴と国内最高記録は?高校や大学も!

男子スピードスケート500mの国内最高記録保持者である村上右磨選手は、北京オリンピックがオリンピック初出場でありメダルの期待がかかる29才!

直前に転倒によりケガをし心配された2021年11月の「W杯」でも、3位に入る実力を見せました。

ここではそんな村上右磨(ゆうま)選手の高校や大学などのプロフィールと国内最高記録を出した2021年3月の「長根ファイナル競技会」について紹介します。

目次

スピードスケート・村上右磨(ゆうま)の国内最高記録とは

北京五輪プレシーズン最終戦2021年3月6日スピードスケート「長根ファイナル競技会」の男子500メートルで村上選手はライバルである新濱立也選手と直接対決。

村上選手は34秒44の国内最高記録を更新し勝利しました。

「長根ファイナル」国内最高記録のスケート動画はこちら↓↓↓

そして今季の開幕戦である全日本スピードスケート距離別選手権大会が10月22日から24日まで長野県で行われましたが、この大会の結果で前半戦のワールドカップ日本代表選手が選出される大事なレースとなっていました。

昨シーズンこの大会で優勝した村上選手は連覇とリンクレコード更新を目指していましたが、500メートル3位に終わり目標通りの結果にはなりませんでしたが、2021年のワールドカップ日本代表に選出されることとなります。

4年前は怪我で満足に戦えず出られなかったオリンピックですが、4年間出場を目指し頑張り続けた村上選手は2022年冬季オリンピック代表に選ばれています。

スピードスケート・村上右磨(ゆうま)の出身校はどこ?高校や大学は?

出典:朝日新聞デジタル

村上選手は北海道帯広にある「帯広工業高等学校」を卒業されています。

帯広工業高等学校に運動部はありますが、スケート部がなかったので高校時代は陸上部に所属していた村上選手。

スピードスケートの練習は冬の間のみ行い、それ以外は陸上部で体を鍛えていたそうです。

17歳の頃に帯広市内に室内リンクができ、本格的にスピードスケートの練習ができる環境が整って以降スケートの練習に力が入ったそうで、段々好タイムが出るようになり選手を目指すようになったそうです。

高校卒業後は、北海道江別市にあるスポーツが盛んで有名な「北翔大学」に進学しましたが、村上選手はスピードスケートに専念する為に大学3年生の時に退学。

私立大学の学費は高くスケートは費用が多くかかるスポーツの為金銭面での負担も大変だったそうです。

実際のことは分かりませんが、遠征費捻出の為大学3年生まで通いましたが中退したとも言われています。

大学を退学したあとは、村上選手の実家が営む「村上電気」で家業を手伝いながらスケートに専念されました。

スピードスケート・村上右磨(ゆうま)のプロフィール

出典:日本経済新聞

名前:村上 右磨 (むらかみ ゆうま)

生年月日:1992年12月12日生まれ

出身地:北海道広尾郡大樹町

身長:177㎝

体重:77㎏

こどもの頃スケート少年団に村上選手の兄が入っていて、その練習を見に行った時に初めてスケートを体験したそうです。

初めて滑ったにも関わらず、最初から兄よりも上手に滑れた事がスケートを始めるきっかけになったそうですよ。

高校2年生の頃まで、スケート練習が出来る環境がなかったので本格的に練習を開始したのは少し遅いみたいです。

大学を中退後、実家の「村上電気」で家業を手伝っていた事を先ほどお伝えしていますが、実は村上選手は、大学までスケート部などに入ず父親の指導で練習を続けていました。

お父さんについて調べてみたら、お父さんは競技の経験者ではありませんでした。

どのように未経験で指導していたのか気になりますが、大学を中退後はスケートだけでは食べていけない理由で実家に就職し家業を手伝いながらトレーニングし、中々良い成績が残せていなかった為「最後ぐらいがんばろう」いう気持ちで毎年頑張っていたそうです。

そして2016年5月に「ナショナルチーム高堂建設」に入ることが決まり、その後はトップ選手の仲間入りを果たしました。

村上右磨(ゆうま)の経歴と国内最高記録は?高校や大学も!まとめ

村上選手は3歳でスピードスケートを始めましたが、日本のトップ選手になったのは社会人からでした。

年齢がスケート選手の中では上の方だそうで「遅咲きのスプリンター」と言われているそうですが、お父様と二人でスケートに取り組みながら頑張り続けたからこそ今の結果があるのでしょう。

世界トップレベルになり、北京の舞台で最高のパフォーマンスをされることを楽しみにしています。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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