昭和50年代、兜町(かぶとちょう)の風雲児と呼ばれ、相場師として大きな話題となった中江滋樹さん。
中江さんの株の実績から交友関係も広まり、芸能界だけでなく政界にも顔が利く有名人にまで上り詰めますが、昭和60年に巨額の詐欺事件「投資ジャーナル事件」を起こしたとして逮捕もされました。
そんな中江滋樹さんは逮捕されるまでにどれくら稼いだのか、またその手法や詐欺事件の内容が気にまりますよね。
今回は中江滋樹さんのプロフィールや詐欺事件の内容、生涯の稼ぎや稼いだ手法、晩年についても紹介します。
中江滋樹が稼いだ手法や生涯の稼ぎは?
かつて「兜町の風雲児」と呼ばれ相場師として一躍時の人となり、派手な交友関係でも知られた中江滋樹さんですが、生涯の稼ぎはどれぐらいだったのでしょうか?
中江さんのお父様は証券会社の社員だったそうで、中江さん自身も小学生の頃から株を始めて、投資を学んでいたそうです。
高校の時から信用取引にも手をつけ、先生から「どの銘柄を買えばいいのか教えてくれ」と頼まれていたこともあるようです。
高校生時代は頭も良く数学は全国模試で3番になるほどの秀才。
中江滋樹さんが相場師として、名前が広まり始めた頃の日本は経済大国の地位を確立し、株価は右肩上がりを続けていた時期です。
好景気だからこそ、株式投資がブームになり、サラリーマンや自営業者が株の売買を始めるようになりました。
そこで中江滋樹さんは投資顧問会社「投資ジャーナル」を設立し、情報誌を発行したりテレビCMを流したりと、派手に宣伝を始めました。
雑誌の売れ行きが良くなると、多くの関連会社を設立し、マスコミへの露出も増加。
中江滋樹さんの理論「ツーバイーツー理論」
2割の儲けを10回続けることで、元手が2倍に膨れ上がるという考え方
そんな中江さんの生涯の稼ぎはどれぐらいあったのでしょうか?
詳しくはわかりませんが、その額は1000億円以上と言われ、中江さんが開いた高級ホテルでのパーティーには政治家が顔を出すほどでした。
そういった手法で会員やお金を募り、584億円が集まったそうです。
中江滋樹の詐欺事件の内容は?
中江滋樹さんは1978年に投資ジャーナル社を設立し、証券ジャーナリストとして、「投資ジャーナル」「月刊投資家」等の証券関連雑誌を発行して「絶対に儲かる」株式売買のテクニックを披露していました。
この雑誌上で1人当たり10万円から数百万円程度を利用者から集め、投資ジャーナルが推薦した銘柄を紹介する仕組みだったようです。
そして逮捕される1年前に狙いを定めた株に対しての融資を募り、数百億億円というお金を集めましたが、一向に株価は上がらず顧客に返済することができなくなってしまったのです。
このことで”騙して資金を集めた”として逮捕されるまで、中江さんは妻と交際していた芸者達4人と8ヶ月間逃亡生活を送りました。
しかし1985年6月19日にに逮捕され、1989年に懲役6年の実刑判決を言い渡されています。
中江滋樹のプロフィール
- 名前:中江滋樹(なかえしげき)
- 生年月日:1954年1月31日(享年66)
出所後再起を図りますが、暴力団から得た数十億円の出資を返せなくなり、再び表舞台に立つ事はなかった中江さん。
2020年2月に亡くなるまでにも、死亡説もありましたが、普通に生活はされていたようです。
しかし地元のトラブルメーカーとして、放火未遂などで現行犯逮捕もされたり、2012年にはほとんどお金がないという発言もあり、生活保護を受けていたという話もありますね。
晩年は東京都葛飾区のアパートに住み、体調もよくなかったようですが、2020年2月20日のアパートが火事で亡くなりました。。
原因は寝たばこでは?と言われていますが、真実は分かっていません。
バブル期と共にもてはやされた中江さん、亡くなる前も再起を諦めていたわけではなかったのではと言われています。
遺品を見ていると、コロナ渦で不安定になった中、毎日相場のことを考えて過ごしていたのではないかという話もありました。
中江滋樹の生涯の稼ぎは?稼いだ手法や詐欺事件の内容も!まとめ
中江滋樹さんの生涯に稼いだお金は何百億を超えるでしょうが、2020年に亡くなった時にはお金はほぼ無かったそうです。
日本の好景気時代に株で大儲けしましたが、結局はその株で詐欺事件を起こし逮捕されてしまいました。
中江滋樹さんは日本のバブル期の象徴といえる方ではないでしょうか。
最期までご覧いただきありがとうございました。