80年代からアイドルとして、また伝説の歌姫として中森明菜さんは語り継がれる存在ですが、メディア露出はほとんどなくても、人気の強さを感じますよね。
中森さんがデビューした年のメンバーは「花の82年組」と呼ばれ、同年デビューメンバーの中には小泉今日子さん、早見優さん、堀ちえみさん、石川秀美さん、またシブがき隊など錚々たるメンバーでした。
そんな中森明菜さんは2010年以降、何度か活動休止をされていましたが、その理由とはなんだったのでしょうか?
今回は中森明菜さんの活動休止理由や、若い頃全盛期や女優業について、またデビュー経緯や経歴について紹介します。
中森明菜の活動休止理由は何だった?なぜ引退同然だったの?
中森明菜さんは2010年10月に無期限音楽活動休止を発表されましたが、理由はなんだったのでしょうか。
このとき中森さんはストレスによる免疫低下で「帯状疱疹」を発症していたようで、その後も収まらず悪化し、顔にまで広がっていたそうです。
外にも出られず、顔面の痛みも続き、精神面も不安定になっていたようで、歌手として復帰は絶望的とさえ言われていました。
その後も回復と再発を繰り返しますが、2014年秋には一度復帰し、同年の大晦日にNHK紅白歌合戦にサプライズゲストとして登場。
その後、2017年末に開催されたディナーショー以降は再び活動休止になり、メディア出演はされてきませんでした。
引退同然だったとも言われていますが、中森明菜さんは完ぺき主義者と言われていて、完全に直ったら復活したいという思いをもっていたそうです。
中森明菜の若い頃全盛期や女優業は?
中森明菜さんの全盛期は1980年代は多くのアイドルが毎年デビューしていて、その中でも松田聖子さんと中森明菜さんの人気は凄まじかったそうです。
当時20歳前後ですが、圧倒的な歌唱力と表現力で、見る人を虜にし、ヒット曲を連発しました。
「セカンド・ラブ」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIREー情熱ー」など今もカラオケで歌う!という方も多いのではないでしょうか。
また、歌手としてだけでなく、女優としても1985年には映画「愛・旅立ち」で主演、1992年にはテレビドラマ「素顔のままで」で安田成美さんとダブル主演を務め、話題となりましたよね。
また個人的にはドラマ「古畑任三郎」での初回ゲストの犯人役が印象に残っています。
演技も中森明菜さんの魅力が溢れていましたし、歌手としても女優としても、唯一無二の存在感を発揮されていたのではないでしょうか。
中森明菜のデビュー経緯や代表曲、経歴は?
- 名前:中森明菜(なかもりあきな)
- 生年月日:1965年7月13日(2022年8月現在57歳)
- 出身地:東京都
- 学歴:明治大学付属中野高等学校中退
- 身長:160センチ
1981年、16歳直前に出場した日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、シングル「スローモーション」でデビューした中森さん。
超人気曲である「少女A」がセカンドシングルだったことに驚きますが、このころから衣装にもとてもこだわりを持っていたそうです。
お母様が美空ひばりさんのファンで、若い頃は歌手志望だったこともあり、明菜さんに歌の手ほどきをしていたそう。
1984年、井上陽水さんが作った「飾りじゃないのよ涙は」で、アイドルからシンガー、そしてミュージシャンへの転機となったと言われています。
他にも「TANGO NOIR」「難破船」「TATOO」などヒット曲が多数ありますが、仕事も順調だと思わた最中、1989年に当時交際していた近藤真彦さんが住むマンションで自殺未遂事件を起こして芸能活動を約1年間休止。
その後活動はあまり活発ではなくなりますが、とはいえ女優業や歌手活動も行ってこられました。
しかし帯状疱疹により2010年に活動休止してからは、やはり目立った活動を行っていません。
2022年8月30日には個人事務所を設立したとの発表もありましたし、今後は元気な姿を見せて欲しいですね。
中森明菜の活動休止理由は何だった?若い頃全盛期や女優業も!まとめ
中森明菜さんは2010年に帯状疱疹により芸能活動休止をし、その後一度は復帰しますが、完全復活にはならず、今まであまりメディア露出をしていません。
1980年代の若い頃はアイドルとして全盛期で、ヒット曲も多く、ドラマや映画でも主演を務める程女優業も活発でした。
復活を期待するファンの方々はすごい数いらっしゃるでしょうし、楽しみに待ちたいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。