元スキーノルディック複合の金メダリスト・荻原健司さんは現在どうされているのでしょうか。
ノルディック複合といえば荻原健司さんを思い出す方も多いのでは?また荻原健司さんの双子の弟・荻原次晴さんも同種目の日本代表選手でしたよね。
ここでは荻原健司さんの現在と兄弟の次晴さんの今、そしてお二人のオリンピックでの活躍を紹介します。
荻原健司の現在は?長野市長や今の活動!
1990年代、スキーのノルディック複合といえば荻原健司さんを思い出す方も多いのではないでしょうか。
荻原さんは引退後、タレントやスポーツコメンテーターとしても活動されていますが、参議院議員選挙全国比例代表区で当選し、スポーツ政策を柱に活動されていました。
その後は荻原さんが在籍していた「北野建設」に再び戻り、スキー部ゼネラルマネージャーとしてノルディック複合で20年ぶりに五輪・メダリストを輩出されました。
2019年からはトップ選手やジュニア世代の育成に軸足を移して、次代の五輪メダリストの輩出を目指す取り組みをされています。
その他にも荻原健司さんは様々な活動をされています。
・日本オリンピック委員会オリンピック・ムーブメントアンバサダー
・日本ノルディックフィットネス協会 アンバサダー
・長野県教育委員
・群馬大学非常勤講師
・北海道 士別ふるさと大使
そして長野市長選で9万8771票(得票率53.4%)を獲得し、新人の争いを制して初当選され、現在は長野市長でいらっしゃいます。
荻原健司の弟・荻原次晴の現在!
双子の弟・荻原次春さんも兄・健司さんと同じくノルディック複合で日本を代表する選手として活動されていました。
お二人は選手時代、プライベートでは仲が良かったそうですが、競技ではライバルで厳しい姿勢の兄弟だったようです。
引退後は父として子育てに積極的に取り組み、家事も育児もこなすイクメンぶりが注目されているようです。
現在はメディアや講演を通しウインタースポーツの普及に力を尽くしていておられます。
スポーツキャスターとしてTBS系列「ひるおび!」にコメンテーターとして出演。
他にも地上波BS「BOTA RACEライブ」メイン司会を務め、読売テレビの「鳥人間コンテスト」のボートリポーターなど多数メディアに出演されています。
次春さんは自身の著書も出されていました。
日本スキー複合を引っ張ってきた兄荻原健司さんの引退までの全てを弟の次春さんが綴っています。
輝かしい栄光の背後に何があったのかを「栄光と苦悩」を読めば明らかになるかもしれませんね。
その他にもアウトドア経験を活かし「次春登山部」を発足し、ツアーを自ら計画し日本の百名山登頂を目指すなど幅広く現在も活躍されています。
荻原健司のオリンピックでの活躍は?いつのオリンピックだった?
荻原健司さんは現役時代は現在は主流になっているV字ジャンプ技術を世界に先駆けて取り入れ、ジャンプで大差をつけてクロスカントリーで逃げ切るスタイルを確立した凄い選手でした。
1992年のアルベールビルオリンピックで団体優勝。
1994年リレハンメルオリンピック、1995年サンダーベイ選手権で日本世界大会4連覇に貢献し、世界を相手に物怖じしない精神力で「新人類」と称されていました。
個人戦では1992年にノルディック複数ワールドカップフィンランドブオカッティー大会で初優勝を果たしました。
1992年から1993年シーズン中に6勝をあげて日本人初の個人総合優勝を達成。
1993年から1994年シーズンと1994年から1995年シーズンも世界初の三連覇を達成。
世界選手権では1993年と1997年に金メダルを獲得しています。
2002年のソルトレークシティーオリンピックを最後に競技の第一線を退きました。
あまりにも強い選手であることから、荻原さんは選手時代「宇宙人」と呼ばれていたそうです。
荻原健司の現在は?兄弟の今やオリンピックでの活躍も!まとめ
荻原健司さんが自身のTwitterで北京五輪のノルディックスキー複合団体で銅メダルを獲得した日本チームを祝福と感動した胸中を表現して話題になりました。
スキーノルディック複合選手として沢山の伝説をのこした双子の兄弟は引退後もスポーツと関わる仕事を個々にされてながら、健司さんは長野県市長、次春さんはコメンテーターとして活躍されていました。
これからもお2人のご活躍を期待しています。
最後までご覧いただきありがとうございました。