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宮脇咲良のこれまでは?HKT48やIZ*ONE(アイズワン)時代も!

HKT48や日韓合同ガールズグループIZ*ONE(アイズワン)で活動してきた宮脇咲良さんですが、先日BTSやSEVENTEENが所属する事務所の関連会社であるSOURCE MUSIC(ソースミュージック)への専属契約が発表されました。

そして、5月には新グループで再デビューすることも発表され、今再び注目が集まっていますが、宮脇さんはこれまでどのような活動をされてきたのでしょうか?

今回は、そんな宮脇咲良さんのこれまでの経歴や活動の記録を振り返ってみたいと思います。

この記事を見ればこんなことが分かります!

・宮脇咲良のこれまでの活動内容・所属グループについて

・宮脇咲良の今後と「LE SSERAFIM」について

・宮脇咲良のプロフィール

目次

宮脇咲良のこれまでの活動

子役~HKT48時代

宮脇咲良さんの芸能活動の始まりは、なんと小学3年生の時になります。

当時ミュージカルにドはまりしていたお母さんの影響でミュージカルスクールに通うようになり、その後子役として福岡の芸能事務所「ナッツプロダクション」に所属しました。

ちなみに、この時通っていたミュージカルスクールには同郷の上白石萌音さんも通っていたそうで、この2人は友人関係なんだそうです。

スクールや事務所のレッスンで経験を積んだ宮脇さんは2008年に劇団四季の人気ミュージカル『ライオン・キング』の福岡公演でヤングナラの役で出演しました。

さらに2010年にはミュージカルの本場であるニューヨークで開催された「The Broadway Experience(ブロードウェイ エクスペリエンス)」に参加し、現地の俳優や舞台監督から1週間直接指導を受けるという力の入れようでした。

”このままミュージカル女優を目指すのかな?”と思われた矢先、2011年7月10日にHKT481期生オーディションに合格し、アイドルとしてのキャリアをスタートさせました。

同年の10月23日に開催されたAKB48の『フライングゲット』握手会でAKBファンの前にお披露目され、11月26日にはHKT48劇場こけら落とし公演で劇場デビューを飾りました。

翌年の選抜総選挙では47位に入り、当時のHKT1期生21人の中で唯一CD選抜入りしたことから、デビューして間もないのに当時から人気があったことが窺えます。

その後参加した選抜総選挙では26位、11位、7位、6位、3位と着実に順位を上げていき、AKBグループのエース的存在に。

2014年から2018年4月まではその人気からAKB48とHKT48の兼任で活動し、AKBの楽曲『希望的リフレイン』でのセンターデビューや『マジすか学園』でのドラマ主演など、様々な経験を積みました。

2016年9月1日には個人のTwitterとInstagramを開設し、2018年3月19日にはYouTubeチャンネル『ちゃんねる宮脇咲良』を開設して、SNSでの発信も積極的に行っていきました。

2017年4月からは宮脇さん自身初にして最後の冠ラジオ『今夜、咲良の木の下で』もスタートし、人気を確実なものにしていきます。

IZ*ONE時代~現在まで

2018年5月10日からIZ*ONEが生まれたサバイバルオーディション番組『Produce 48』がスタートし、宮脇さんはシグナルソングである『NEKKOYA(PICK ME)』ではセンターを務めました。

番組スタート時、日韓総合1位でスタートした宮脇さんは、途中韓国語の歌詞の問題などで実力不足を指摘されながらも、最終順位2位で見事IZ*ONEのメンバーに。

同年10月29日にミニアルバム『COLOR*IZ』をリリースしてIZ*ONEのデビューを果たし、2年半の活動期間の間に韓国ではミニアルバムを4枚、フルアルバムを1枚リリースし、日本ではシングルを3枚、フルアルバムを1枚リリースし、日韓のみならず世界で大活躍でした。

その活動の中では「Produce 101シリーズ投票操作事件」の影響で、2019年11月からグループの活動を約1年間中断しなければいけない事態もありましたがなんとか復活し。

2021年3月14日の「ONE, THE STORY」コンサートでIZ*ONEとしてのグループ活動を終了し、2021年4月29日に解散しました。

解散日となった4月29日にIZ*ONEの日本人メンバー3人は日本に帰国し、自主隔離期間を経てそれぞれのグループに再合流しました。

しかし、宮脇さんは合流したのもつかの間、5月15日にサプライズ出演した生配信番組でHKT48からの卒業を発表したんです。

宮脇さんのHKT復帰を心待ちにしていたHKTファンやメンバーからは悲しみの声も聞かれましたが、IZ*ONE時代を見ていた人たちからすると、やっぱり?と思う部分もあり、その後の動向にも注目が集まりましたよね。

6月14日には卒業ソング『思い出にするにはまだ早すぎる』のミュージックビデオのショートバージョンが公開され、6月19日に『宮脇咲良 HKT48 卒業コンサート ~Bouquet~』を開催し、10年間所属したHKT48を卒業しました。

卒業コンサート後の6月27日にはHKT48劇場で『HKT48 宮脇咲良 壮行会』を開催し、HKTファンとの最後のお別れ会を開催。

その後の8月にはBTSなどが所属するHYBE(ハイブ)系列の事務所と専属契約を結んだ、という報道もありましたが、この頃はまだそれが真実なのか分かっていませんでした。

しかし、8月27日には韓国での活動再開に向けて再び韓国に渡ったので、この報道は恐らく本当だったのかな、と今では思いますね。

翌月の9月30日には冠ラジオ番組『今夜、咲良の木の下で』の放送も終了しましたが、12月には自身がプロデュースした化粧品ブランド『CRAN BY MOLAK(クラン バイ モラク)』の販売を開始。

その他にも国内外のコスメブランドやファッションブランドのアンバサダーに就任するなど、デビュー準備をしながらいろんな広報活動も行っていました。

宮脇咲良のこれからの活動

写真1枚目左から2番目が宮脇さん

2022年3月14日にHYBE系列の事務所SOURCE MUSICと専属契約を締結したことを公式に発表し、5月2日には新ガールズグループ「LE SSERAFIM(ルセラフィム)」として再デビューすることが発表されました。

こちらのグループは、同じくIZ*ONE出身のキム・チェウォンさんを含む6人組のグループで、日本出身の元バレリーナのメンバーもいます。

中でも注目なのが、このグループの平均身長がなんと169㎝とかなり高く、6人中4人が170㎝オーバーなスタイル抜群のメンバー揃いなんです。

IZ*ONE出身メンバーが2人いて、さらにビジュアルもみんないい!とデビュー前からかなり話題になっているグループでもありますよね。

5月2日にミニアルバム『FEARLESS』を発売してデビューする予定ですので、気になる方はチェックしてみてはいかがでしょうか?


宮脇咲良のプロフィール

  • 名前:宮脇咲良(みやわき さくら)
  • 生年月日:1998年3月19日
  • 年齢:24歳(2022年4月現在)
  • 出身地:鹿児島県鹿児島市
  • 身長:163㎝
  • 趣味:映画やミュージカル鑑賞、読書、ゲーム
  • 特技:ダンス、絵を描くこと
  • 所属事務所:SOURCE MUSIC(韓国)、A.M.Entertainment(日本での個人活動)

宮脇さんの名前の由来は、桜の季節である3月生まれであることにあるそうで、「良いことが咲きますように」という願いが込められているそうです。

HKT時代のキャッチフレーズは「あなたも、あなたも、みんなの心にさくら咲け~っ!」でした。

そんな宮脇さんには年の離れた弟さんがいて、どうやらその弟さんはまだ小学生のようで、弟さんがもっと小さい時には一緒に特撮物の番組を見ていたそうです。

宮脇さん本人は幼少期はとても活発だったそうですが、今ではかなりのインドアで、一般の友達がいないなんてことを公言していたこともあります。

宮脇咲良のこれまでは?HKT48やIZ*ONE(アイズワン)時代も!まとめ

今回は最近また注目を集めている元HKT48でIZ*ONE出身の宮脇咲良さんについてご紹介しました。

これまでの活動もさることながら、新グループでの再デビューも決まり、今後の活動にも注目していきたいですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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