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羽生結弦の子供の頃は?姉との関係や家族、生活環境は?

男子フィギュアスケート界でトップの存在である羽生結弦選手、北京オリンピックでの挑戦は大変感動しましたよね。

今大会でメダル獲得にはならなかったもの、ISU公認大会で初めて「4回転アクセル」を認定されるなどその存在は常に中心にありました。

そんな羽生結弦さんを支えてきた家族はどんな方でしょうか?

さらに羽生結弦さんの幼少期やお姉さまとの関係、またこれまでどんな生活をされてきたのかをご紹介します。

目次

羽生結弦は子供の頃は?

日本を代表するトップフィギュアスケーターの羽生選手ですが、きっかけは2歳の頃に小児喘息を患いその克服の為に4歳からスケートを始めたようです。

初めの頃はあまり練習熱心ではなく父からは「もう辞めてもいいよ」と言われていたそうです。

羽生結弦の小学生時代

小学校は宮城県仙台市にある「七北田小学校」に通い、高学年になる頃には本格的にスケート打ち込めるようになった羽生っ選手。

小学校5年生の頃には5種類の3回転ジャンプを跳べるようになり「天才少年」としてマスコミに取り上げられるようになりました。

羽生結弦の中学生時代

小学校を卒業し「七北田中学校」に進学した羽生選手はさまざまな大会に出場する為学校を休みがちだったみたいですが、成績は優秀だったといいます。

中学一年生の頃には全日本ジュニア大会に出場し3位に入賞、ノービスの選手が表彰台に上がるのは日本男子初の快挙でした。

3年生の頃にジュニアグランプリシリーズで初優勝を達成し、ジュニアグランプリファイナルで史上最年少での初優勝を果たすなど大きく成長しました。

羽生結弦の高校生時代

羽生選手は中学校を卒業すると伝統ある「東北高校」スポーツコースに進学しました。

高校1年生でシニアデビューを飾り、その後に東日本大震災で被災、実家が全壊してしまったようです。

避難所生活になりスケートをしている場合ではないと考えたようですが、ボランティア活動をしながら同校の野球部が甲子園で戦っている姿を見てスケートへの意欲を取り戻します。

高校2年生では全日本選手権3位になり、初の世界選手権では銅メダルを獲得しました。

その後、高校3年生の時に大きな転機が訪れ世界的な名コーチがいるクリケットクラブに練習拠点を移し、ブライアン・オーサー氏に指導を受ける事になりました。

この転機によりさらに才能を開花させハイレベルな4回転を2種類成功させSP世界歴代最高点を更新。

GPファイナルでは2位になり全日本で初優勝を飾りました。

羽生結弦の大学生時代

早稲田大学人間科学部通信教育課程へ入学した羽生選手。

大学に進学すると同時にANAと所属契約を交わします。

その年のGPファイナルではSP世界歴代高得点を更新して金メダルを獲得しました。

続く全日本でも優勝を果たし、2014年ソチ五輪に出場することとなります。

ソチ五輪ではSPにおいて世界歴代最高得点を再更新して、男子アジア人初の金メダルを獲得します。

2018年には記憶に新しい平昌五輪では2大会連続となる金メダルを獲得し日本中を感動させました。

その後も高難度の技や構成にチャレンジし続け自身の持つ世界最高得点を更新し続け、まさしくフィギュアスケート界の絶対王者となりました。

羽生結弦と姉の関係は?家族(父・母)はどんな人?

羽生選手には4歳上の「さや」さんというお姉さんがいらっしゃいます。

羽生選手が子供の頃、さやさんがフィギュアスケート教室に通っていたことで体験教室に参加。

さやさんは8歳〜18歳までフィギュアスケートをやっていたみたいですが、さやさんが18歳の頃フィギュアスケートはお金がかかる競技ということで羽生選手が家族のことを思い「フィギュアスケートを辞める」と言ったそうです。

それを聞いたさやさんが「結弦が辞めるんだったら私が辞める」と主張しフィギュアスケートを辞めたとのことです。

さやさんは辞めた後も羽生選手にアドバイスしようと練習や試合を見に行っていたようで、弟思いの優しいお姉さんですね。

父・母・姉の4人家族でお父様は現在公立中学校の校長をしており、お母さまは専業主婦であるご家庭です。

父の羽生秀利さんは、野球部の顧問を務めてた為、本当は羽生選手に野球をしてほしいと思っていたようですが、フィギュアスケートのレッスンに通っていた羽生選手の送り迎えをしていたそうですよ。

母の由美さんは羽生選手のフィギュアスケートの衣装を手作りしていたそうで、カナダ・トロントへ拠点を移した時も同行して羽生結弦さんの為に栄養管理やメンタルコントロールを学び慣れない海外生活をサポートしていたようです。

羽生選手はそんな母親に「母はそばにいてくれるだけで十分な存在」とインタビューで語った事もあり今の活躍も由美さんやご家族の支えがあってからこそなんですね。

羽生結弦を育てた生活環境とは

羽生選手は家族愛に支えられ、ここまでフィギュアスケートを続けてこられました。

衣装はもしお母さまの手作りがなければ、SP・フリー・エキシビジョンの3着が必要になりそれぞれ既製品であれば1着15万円程、デザイナーに頼めば100万円程かかるそうです。

その他にもシューズ代・コーチ代・リンク貸切代など多額の費用がかかります。

姉のさやさんはコンビニでアルバイトをして少しでもと支えになろう考えていたようですし、父の秀利さんは仕事終わりに羽生選手の送迎していたそうです。

家族みんなで羽生選手の活躍を応援されていたことがよく分かりますよね。

羽生結弦の子供の頃は?姉との関係や家族、生活環境は?まとめ

羽生家はフィギュアスケートを通じ強い絆がある事がわかりました。

羽生選手の活躍は家族の懸命なサポートがあるからこそなんですね。

これからも活躍を期待して応援していきたいと思います。

最後までご覧いただきありがとございました。

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