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「となりのトトロ」はいつの時代の話?モデルとなった場所や県は?

田舎へ引っ越してきた草壁家のサツキとメイの姉妹が、森で不思議な生き物”トトロ”と交流する『となりのトトロ』はスタジオジブリを代表する名作のひとつですよね。

作品の舞台は、豊かな自然が広がる森や田園なのですが、この自然いっぱいの場所にはモデルがあったのをご存じでしょうか?

ここでは、『となりのトトロ』のモデルとなった場所や時代背景について、また物語の世界を楽しめる聖地についてもご紹介いたします!

目次

「となりのトトロ」はいつの時代の話?

『となりのトトロ』に出てくる風景は、木造の小学校や水汲みのポンプなど、どこかノスタルジックな昭和時代の雰囲気がありますが、物語の実際の時代設定はいつなのでしょうか。

作品の中のカレンダーや電報の消印などから、よく言われていたのは昭和30年代前半なのですが、宮崎駿監督が時代設定を質問され、「テレビのなかった時代」と答えたそうです。

テレビは昭和30年に入ってから出回り始めたものなので、それ以前の昭和27~28年代ということになります。

もともと”トトロ”の構想を練っていた初期の段階では、ざっくりと昭和30年代を想定していたようで、宮崎駿監督が描いたイメージボードにもそれが記されていました。

その後、「テレビのなかった時代」に設定が変更されたので、カレンダーや電報の日付など、細部における年が昭和30年代のまま残ってしまったようですね。

テレビやネットなどから、さまざまな影響を受ける現代人にとって、そういうものがなかった時代の素朴な背景に、どこか懐かしさを感じて癒されるところも、この作品の魅力なのではないでしょうか。

「となりのトトロ」のモデルとなった場所や県は?

大きな森や、昔ながらの日本の美しい自然の風景が描かれた『となりのトトロ』ですが、そのモデルとなった場所は、埼玉県と東京都にまたがる「狭山丘陵」と言われています。

この「狭山丘陵」は3500ヘクタールもの丘陵が美しい緑で覆われ、いかにもトトロが住んでいそうな場所で、今では「トトロの森」という名で呼ばれているそうですよ。

サツキとメイたちが引っ越してきた”松郷”という地名も、埼玉県所沢市に存在している場所なのですが、現在は開発が進み、残念ながら作品に出てくるような自然は見られないようです。

また、サツキとメイのお母さんが入院していた”七国山病院”のモデルとなった”新山手病院”も、狭山丘陵内にある八国山緑地の敷地内に存在しています。

「となりのトトロ」の世界を楽しめる聖地といえば?

『となりのトトロ』の舞台となったモデル地でもある埼玉県所沢市の周辺には、聖地と呼ばれる場所がいくつもあります。

  • トトロの森1号地:物語の舞台になった場所でトトロのふるさと基金のトラストが森林保存のため買い取った場所
  • クロスケの家:トトロの森の保全活動の拠点として管理している古民家
  • 白旗塚:トトロが住んでいた塚森のモデルで鎌倉に攻めてきた新田義貞が幕府軍と初めて戦った場所として知られている
  • 稲荷町停留所:ねこバスが来る稲荷前バス停のモデルで名前はそっくりですが背後に森はなく一般的な住宅街にあるバス停

また、愛知県にある愛・地球博記念公園の中にある、サツキとメイの家が再現された施設もファンには人気のスポットで、2022年秋にオープンするジブリパーク内で再開されますよ。

「となりのトトロ」はいつの時代の話?モデルとなった場所や県は?まとめ

ここでは、『となりのトトロ』のモデルとなった場所や聖地について、またいつの時代の物語なのかについてご紹介いたしました!

『となりのトトロ』には”忘れものを届けにきました”というコピーが付けられていますが、宮崎駿監督が描きたかった”日本人が忘れかけている自然観”を存分に感じられる作品で、子供から大人まで楽しめる名作アニメ映画ではないでしょうか。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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